アフターコロナの温泉文化④老舗旅館の生き残る戦略と新しい湯治|湯元榊原舘 前田諭人さん

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって観光のあり方が大きく問い直されています。

全国の温泉の最前線で活躍する方にお話を伺い、アフターコロナの温泉文化について考えようと思います。

第3回目は、三重県・榊原温泉で100年以上の歴史を誇る老舗旅館「湯元榊原舘」4代目社長の前田 諭人(さとし)さんにインタビューしました。

前田さんは、先代から引き継いだ「美と健康」をテーマに様々な取り組みを展開しながら、経営者として温泉旅館の新しいあり方を模索しています。

※インタビューは2020年11月に行いました。

温泉で「美と健康」を体験

温泉水で蒸したたっぷりの蒸し野菜は「湯元榊原舘」の定番料理

橋本
GoToキャンペーンによって回復の兆しが見えてきたかとは思いますが、まだまだ厳しい状況が続いているのではないでしょうか。
前田社長
毎年ご利用いただいていた地元企業の忘年会が軒並みなくなってしまいました。

GoToキャンペーンでは、初めてのお客様が多く利用されています。コロナ前とは異なる傾向です。

橋本
割引額の大きい高級な施設を利用する方も多いとニュースで耳にしました。

GoToキャンペーンが終わってからのことも見据えていらっしゃいますか。

前田社長
あくまでも一時的なものだと考えています。

コロナが終息すれば、今までの常連のお客様の比率が再び増えるのではないかと思っています。

橋本
コロナによって色々なことが変わると言われていますが、コロナ前から起こっていた変化や、一時的にすぎないコロナによる変化など、様々なものが考えられます。

湯元榊原舘では、健康への取り組みを一貫して続けていらっしゃいますよね。健康意識の高まりは今後も続いていくように思います。

前田社長
以前から「美と健康」をテーマにやってきました

湯治には健康促進効果があります。うちは泉質が自慢なので、温泉の新しい売り方を検討しているところです。また、健康に良い食事も提供しています。

旅館は室内で過ごすことが前提となっていますが、今は離れたところが人気ですよね。外でのアクティビティをプログラム化したいと考えています。地域全体で観光してほしいです。

2通りのシナリオで温泉をもっと多くのお客様に

橋本
室内で過ごす滞在といえば、ワーケーションも注目されていますよね。
前田社長
コロナ終息後のシナリオを、2通り考えています。

1つは経済が活性化している場合ワーケーションも盛んに行われているならば、空き家をリノベして一棟貸しなんかができればいいな、と考えています。

インバウンドも戻ってきて高単価路線に切り替えるならば、現在のお客様がどれくらい利用してくれるかを考え、価格を設定する必要があります。

2つめは経済が冷え込んでいる場合低価格路線に切り替え、大江戸温泉物語のような1万円前後で満足できる、榊原温泉ならではの施設にします。

橋本
どちらになるかはまだまだわからないですね。

低価格路線も考えていらっしゃるのは意外です。

前田社長
低価格路線にしても、お風呂の増改築はする予定です。今は1日200人前後のお客様が日帰り入浴を利用されていますが、もっと多くの方に来ていただきたいと思っています。

宿泊は簡素にして低価格におさえつつも、お客様に不自由な思いをさせるわけにはいきません。体験コンテンツを充実させ、満足していただければと考えています。

橋本
今の湯元榊原舘から大きく変えることを考えていらっしゃるのですね。

値段を下げるのは難しくないですか。

前田社長
高単価路線の方が大変です。従業員の教育を丁寧にしなければなりませんし、これからはコト消費が中心になってどこに行くかが決まります。モノだけの勝負ではいつか負けてしまうでしょう。
橋本
立派な設備ではなく、かけがえのない体験を提供したいということですね。

温泉は「そこに行かなければ体験できないこと」の最たるものだと思います

新鮮でなめらかな源泉は飲泉もできる

前田社長
温泉の泉質はトップクラスだと思っています。そこを活かして作ったコンテンツを作りたいです。

榊原温泉は伊勢神宮の湯垢離(ゆごり:参拝前に温泉に入って穢れを落とすこと)場としての歴史もあります。歴史でストーリーづくりをして、地域をこえた連携もしたいですね。

橋本
地域をこえた連携は非常に大切ですが、なかなか難しいですよね。
前田社長
地域と地域が連携するのは簡単ではありません。まずは企業単位からでもやっていきたいと思います。

「まろき湯」が最大の宝

橋本
榊原温泉の泉質の素晴らしさは僕もよく知っています。

本当にとろりとしてなめらかな優しいお湯で、いつまででも入っていられます。

ただ、当たり前過ぎて温泉の良さに気づけない場合もありますよね。どうやって泉質の良さに気づいたのでしょうか。

前田社長
子どもの頃は町の方に住んでいたので、実は年に数回しか温泉に入る機会がありませんでした。だからお湯の良さを感じられたのだと思います。

うちのお湯はぬるいので、お風呂の中で寝ていらっしゃる方が多いです。気持ちよく長時間入っていられるのですね。お客様のくつろぐ様子を見て確信しました

睡眠の研究をする機関と連携して「究極の寝湯」を作るなど、源泉風呂を生かした様々なアイデアをあたためています。温泉の特性に合わせた形のお風呂が作れたら最高に楽しそうだと思っています。

橋本
源泉のペットボトル販売や、化粧品も展開されていますね。
前田社長
温泉を持ち帰れるので、旅館に来ていただくきっかけになっています。温泉の良さを伝え、実際に足を運んでほしいです。
橋本
温泉の魅力って入ってみないとわからないですよね。
前田社長
最近いっそう、榊原のお湯の良さがわかってきました。アルカリ性単純温泉の中では全国屈指だと思います。

名古屋や大阪からも来やすくて、室の高いお湯がある。温泉の良さをもっと売り出していきたいです。

このままでは旅館業はなくなってしまう? 変わらないために変わり続ける

朝食の定番となっている自家製豆腐

橋本
お客様のニーズは変わっていくと思いますか。
前田社長
旅館は、楽しみに来ているお客様に楽しんでいただく場所だと思っています。

コロナの前も後も変わらない本質です

旅館の一番いいところは、お客様の喜ぶ笑顔が一番たくさん見られるところですね

橋本
旅館のおもてなしですね。長時間労働や低い生産性などの問題も課題になっている中で、おもてなしをどのように提供するかが問われています。
前田社長
旅館の業務はやることが多く、日によって必要なことも少しずつ変化するので、自分で考えて行動しなければいけません。

自分の能力をこえたサービスを提供すると、どこかにしわ寄せがいって他のお客様に迷惑をかけてしまいます。

従業員には「常に100%お客様のことを考えよう」と伝えています。お客様のことに集中できる環境を用意し、お客様に接するところはそれぞれの裁量で動いてもらうように意識しています。

橋本
能力を高めることと、自分のはたらきを自分でマネジメントすることの両方が必要なわけですね。
前田社長
そうです。カタチのないサービスを評価するのは難しいですが、これができなければ旅館業はなくなっていくと危機感をもっています。

ホテルは世界どこでも同じサービスが受けられますが、旅館は日本の文化に根ざしたサービスを提供しています。この業界に育ててもらったからこそ、なくしたくないと思っています

橋本
ホテルにはない旅館の魅力ですね。旅館を継ぐことは以前から考えていたのですか。
前田社長
継ぐと言うより、「手伝うよ」とだけ言ったのです。しかし専門学校に入って意識が変わりました。

経営のノウハウや他業種の動きなどを学び、旅館業の問題を変えなあかんなと思いました

育ててもらった親や会社に恩返しをするためにも、旅館業の待遇や評価を変え、上を目指せる環境にしたいです。

お客様のことももちろんだけど、経営者として社員のことを考えていかないといけません。

橋本
経営者としてはどんな立場を目指していらっしゃいますか。
前田社長
情報収集も経営者の仕事だと思います。周りが見えていないと、走っていく方向が定まりません。

虎屋の社長が言っているように、「変わらないために変わり続ける」ことを考えています。

100周年を記念して東大温泉サークルOKRと共同制作した、お風呂で読める「榊原湯あみ草紙」

橋本
会長(前社長)も様々な取り組みをされていました。プレッシャーに感じませんか。
前田社長
会長はアイデアマンです。会長のアイデアを実行して、今のやり方で伝えていければと思っています。

温泉の歴史を絡めて泉質の良さを伝えたいですね。

橋本
会長からはどんなことを言われているのですか。
前田社長
温泉だけは守れよ」と。それだけです。

もともと風呂屋の家系で、たまたま泊まりたいという方がいらっしゃったから旅館を始めて今に至ります。だから、今のあり方の宿泊にこだわりはないですね。

橋本
この旅館よりも、温泉を守るという視点なんですね。
前田社長
温泉が素晴らしいので、地元の方が他の地域の知り合いや親戚を連れて泊まりに来てくださいます。地元の方に喜んでもらうことを大切にしたいです。
橋本
会長から、コロナ前から県内のお客様が3~4割いらっしゃったと伺いました。日帰りもしやすい地元の方に泊まっていただくのは難しい中で、驚異的な割合です。

地元の資源をよく知る地元の方に満足していただいているのは、たいへんな努力の証だと思います。

これからも進化し続けていく「湯元榊原舘」

前田社長
社長就任の2017年から10ヵ年計画を立てています。3年目でお風呂を変え、5年目で宿を変え、10年目で街を変える

温泉街を作ることで地域を復活させ、多くのお客様に来ていただいて質の高いお湯を発信していただきたいです。

橋本
今はお風呂を変えるフェーズですね。滞在の形を変えて、湯治を復活させるのですか。
前田社長
身体を治すことを気にしている方は多いですが、いかんせん時間がありません。1週間、2週間といった伝統的な湯治は難しいですが、働き方改革やテレワークも進んでいるので3泊4日ならできると思います。

温泉の環境を利用して、アクティビティやこの地域ならではの体験をしていただきたいです、リフレッシュして健康に気を遣ってもらうプログラムも考えています。

橋本
現代的な湯治ですね。「美と健康」の一貫したコンセプトの中で、伝統文化を復活させる。これからがますます楽しみです。

最後に、温泉好きの読者の皆様にメッセージをお願いします。

前田社長
皆様のおかげで101年続いていることに感謝しています。温泉に磨きをかけて、お客様に還元したいですね。

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